norinoriron(NORIの理論)

日記というより、田舎の無人スタンドに置いてある野菜みたいなエッセイ集(?)にしたいなぁ。
あっ。でも目標は月1回程度の書き込みだから、あまり期待しないでください。


2005/11/2 22:53
「隣の先生の記事」
 職員室で、隣に座っている先生(年齢はnoriと同じ)が書かれた学年便りの記事を読んでいたら、おもしろかったので、本人の許可をもらい、ここに紹介することにした。ぜひ、いろんな人に読んでもらいたい。

「 先日のニュースで,中高年の体力が20年前と比べて向上してきていると聞いた。健康への関心が高く,毎日,ジョギングやウォーキングなどに取り組んでいるからであろう。子供の頃,「巨人の星」や「明日のジョー」などに夢中になって育ってきた今の中高年。「若い者には負けんぞ!」という根性がある。私もその一人である。
 体力向上・健康増進のため,生活パターンを変えてひと月になる。朝,3時30分起床。約1時間の運動とストレッチ。そして,メダカとアイガモに餌をやるころには,自分も食欲がわいてくる。朝食は,まず煮干しを数匹よく噛んで食べる。カルシウムが体に吸収され,DHAの効果で血液がサラサラになるのを感じる。ご飯は,冷や飯をレンジでチンし,卵と納豆か海草のめかぶを入れてかき回し,よく噛んで食べる。午前中のエネルギーが十分に補給される。そして,黒酢だ。水で薄めたものをコップ一杯グイッと飲みきる。まずい。アルギニン・アラニン・グルタミンというらしい17種のアミノ酸がいいらしい(テレビでのコマーシャルで,中国雑伎団?の女の子が生き生きしている)。最後にテレビと新聞でニュース(ニュー酢)を飲んで,仕事にGO!こんな生活を始めたところ,初日から体調バッチリ,元気モリモリ。毎日,極楽気分。朝が待ち遠しい気持ちでいっぱいですね。
 中高年の体力は向上したが,小中学生の体力は年々低下しているともニュースで言っていた。好き嫌いが多く栄養の偏った食生活。メールで睡眠時間を削った不規則な生活。命を削っているようなものだ。毎朝ねむそうな顔で登校してくる生徒。不幸だなと感じる。世の中,辛いことはたくさんあるが,気分の爽快さは極楽にいる気分だ。給食の時間は,子供の頃から一番好きな時間だった。給食は実にうまい。うまい物を食べたときの人間の体内には,恋愛と同じ何か(忘れました)が生じると聞いたことがある。食べ物の好き嫌いがないということは,幸せなことなのである。これも極楽だ。風呂に入ると「極楽,極楽」とつぶやく人がいる。風呂に入って怒っている人は少ないであろう。おっと,給食から離れてしまうところでした。近年,給食のおかわりをして食べる生徒が減ってきた。食べられなかった給食を,無造作にゴミのように食缶に捨てる生徒が増えてきた。配られた分は全部食べてほしいが,どうしても食べられないときは,食缶にていねいに入れてほしいものです。また,食器にご飯やおかずがついていても,気づいているのかいないのか,そのまま食器かごにもどしてしまう人もいます。自分の手です。手でつまんで食べてしまえばいいんですよ。落ちた物でも,汚れてなければ食べてしまおう。人間は,雑菌と共生しているんですよ。これも健康につながっていると,私は確信しています。
 話をまとめる気もなくだらだらと書いてきました。現代人のそして日本人の(若者)の食生活のつけは,いつかやってくるでしょう。日本自体にか個人にか。」

 かねてから子ども達の偏食をとても嫌な思いで見ているので、この先生の記事には、かなり共感できる。



2005/01/18 22:20
「愚痴っぽい独り言」
 新任教師の採用が減っているという。ただでさえ、教師は割の合わない仕事なのに、採用を減らしていけば、必ずつけがくる。大丈夫だろうか?
 志望者が減ってきているのに、偉い人たちは、まだ学歴や成績を重視したような採用をしていないだろうか?もちろん指導する教科の知識がない者を採用してはまずいが、学力重視よりも、人間性重視で採用しなければならない。幅広い柔軟な考え方を持った人や生き方をしてきた人は、勉強一筋ではないために実はあまり良い成績をとれなかった人も多い。それでも、人の道を指導するには大きな力を秘めている。そんな人をたくさん採用すべきだろう。
 余談だが、教師は収入が安定していて、休みも多いから良いと思われているが、それはあまり適切ではない。
 今でこそ週5日制で、1日くらいはなんとか体を休めることができるが、数年前まで、中学校教師は大変だった。朝は、部活指導で7時前に出勤し、授業が終わった後、生徒指導や部活指導、それが終わって次の日の授業研究や様々な事務仕事、忙しい時期は連日真夜中過ぎの帰宅になる。しかも、勤務時間以外のそれらの仕事は完全に無給である。また、以前は土曜日の午前は授業。午後は無料奉仕の部活指導。日曜日も半日無報酬で部活動を見て、午後から残った仕事の片づけ。
 それでも、新任の頃はそれが当たり前と思っていた。中学教師に独身者が多かったのはそういった忙しさも無縁ではないと思う。
 一般に勉強だけできれば、教師が務まるとか、教師はかなり楽な仕事だと思われがちだが、実はけっこう厳しいということも理解してほしい気がする。

2005/01/18 22:02
「学力低下について」
 先日、児童生徒の学力の低下に不安をもった一部の人たちが、学校週6日制を復活すべきだという声が出ていた。もともとゆとり教育をうたい、生きる力を育てようとお役人さん達が作った新しい指導要領の求めるものは、知識ではなく考える力を付けさせるのがねらいだったのだから、昔の定規で学力の低下を憂えるのはおかしい。ただ、実をいうと自分は、反復学習とか、詰め込み型の教育が間違っているとは、あまり思っていなかった。基礎的な知識がなければ、考え方はふくらんでこないからだ。また、技術家庭などで、いきなり道具を与えて何か作れ、みたいな授業をしても、がらくたみたいなものしか作れず、みんな作品を返すとゴミ箱に捨てていく。やはり、職人さんの養成みたいに、ある程度基本的な作品作りを通して、道具の使い方や安全に対する教育をしていかないと優れた作品を作る能力は育たないと思う。
 けれど、いきなり、週6日制に戻せとか、詰め込み型を復活させろというのは、いかがなものか?あまりにも飽きっぽい現代の日本人の生き方そのままではないだろうか?

2004/08/05 22:18
「英会話教室」
 体験教室以外は何も習い事をしていない娘だが、近所ではもう3歳の子たちがたくさんの習い事を始めている。中には1週間が全て習い事だという子もいて、いったいいつ自分の遊びを開発するような活動ができるんだろうかとかわいそうになってしまう。
 最近、多いのは英会話教室に幼児から通わせているパターンだが、これは、どうかと思う。確かに日本語の発音が定まっていない幼児期なら、英語の発音をとてもうまく収得できるだろう。しかし、その分、文法はわからないし、文としての意味もあまりわからず、日本語さえあいまいなまま成長していくわけだからかなり心配だ。現実に、中学生で、英語の成績が良くない子達の親と話していると「うちの子は、幼稚園から英会話教室に通わせているのに、どうしてでしょうか?」という質問をよく受ける。心の中では、「早く英語を習わせたことが原因です。日本語がしっかり身に付いてから習わすべきでしたね。」と思いつつも、さすがにそれは口には出せない。でも、たぶん、自分の意見はけっこう当たっているのではないだろうか?ちなみに中学の英語の教師だったうちのかみさんも同意見である。

2004/07/26 00:04
「選挙」
 中学校で学級をもっていると、いろいろな問題が生じてくる。そして、学級会などを開くと、意見をたくさん言ってくれる子もいれば、まったく意見を出さなかったり、出てきた意見を次々と否定したりする子もいる。意見を出さない子の中には、実は日記などで、「本当はこう思っているけど、どうせ言っても無駄だから。」と書いている子がいる。また、たくさんの不満を抱えていつも文句を言っていても、意見を出そうとしない子もいる。
 そんな子たちの将来が、このままで成長していくのなら、間違いなく、選挙のときには、「自分の1票なんて、どうせ大したことじゃない。」と投票に行かなかったり、「政治が悪いんだよ。」と言いながら、投票の権利さえ放棄してしまう大人になるんじゃないかと思う。
 最近の大人達は、中学生の感覚とそう変わらなかったりする大人が多いように思う。

2004/06/13 23:34
「コラボ最新個人情報」
 いろいろな人とネット上でのコラボ活動や音楽活動が充実してきました。その案内です。
・「イマジンを歌えば」を一般の音楽サイトにアップ
・「僕のせい」を作詞者の美咲さんによりアップ(先週、アクセス数のランキング19位でした。)
・「僕のせい」フォトシネマとして、hatuさんによりアップ
・「君のそばで」フォトシネマとして、美咲さんのページでアップ
・コラボ企画「祈り」ついにネット仲間大勢の力で完成

2004/02/26 23:08
「情報教育」
 小学校に次々と40台ずつパソコンが導入され、パソコンを使った授業が盛んに行われている。それは、本当にいいことなのだろうか?
 小学校では、まだ、読むこと、書くこと、計算することいろいろ、アナログなことをいっぱいして、手先や頭を柔軟に使いこなせる訓練をするべきだと思う。自分もパソコンを触り始めた最初は、小さい頃からやれたら良かったなんて思ったが、今、パソコンを使いすぎている現状では、かなり漢字を忘れてしまったり、考える力が落ちてきた気がする。これが、脳や体全体が発達する小学生だったらどうだろう?まともな発達が望めるだろうか?
 自分の兄は高校でパソコンを教えているし、自分自身、中学でパソコンを教えている立場なのだが、パソコンを学習するのは高校くらいからでも十分だと思う。
 関係ないかもしれないが、昔、自分は自転車であちこち旅をした。景色に感動したり、旅先のアクシデントや疲労で苦労したが、それが貴重な自分の経験となった。仕事が忙しくなって、旅の道具はバイクやクルマになったが、やはり旅の原点は、徒歩か自転車だと思っている。パソコンも同様ではないだろうか?趣味でも仕事でも、時間や労力にゆとりがなくなったとき、それを補う道具としてパソコンに触れるようになることで十分ではないだろうか?

2004/02/07 00:46
「メディアのモラル」
 テレビや映画、ゲームなどで、ホラー映画やスプラッターものがよく流行るが、自分は、そういうものに反対である。若い人は、「そんなものに影響を受けるほど、若者は弱くもないし、それを見たからと言って、自分が殺人者になるなんてあり得ない。」と反論するが、自分はその意見にも反対であるし、心理学者からの意見を聞きたいところである。
 初めて殺人のシーンや残酷なシーンを見たときは、誰もが目を覆うだろうが、次第に人は見慣れてしまう。目を覆うようなシーンを見たときの感覚をドキドキしたり、ワクワクしたりする感覚と受け取る人たちにとって、同じようなシーンでは、慣れてしまってドキドキ感が薄れてくるのは、事実だろう。新しい刺激を与えるために送り手は次々と新しいさらに残酷なシーンを用意してくる。残酷なシーンに見慣れている人たちにとって、果たして生身の人間が、同じ状況に置かれた場面を見たとき、かわいそうとか、大変だとか、危機感のあるせっぱ詰まった感情が起こるだろうか?さらに、人によっては、自らそのシーンを自分でリアルに演出しようとすることは、絶対あり得ないことだろうか?
 危機感を感じる2つの例を挙げたい。
 1つ目。ある学校でまじめでおとなしかった生徒が、ある暴力的な映画が、R指定されたことにとても憤慨していた。そして、上記で上げた若者の意見と同じことを言っていた。その数年後、彼女はある団体に所属し、リンチ事件に加わって捕まったというニュースを耳にした。映画とその事件の直接的な関係は無いかもしれないが、その映画に興味を持つこと自体、本人の心が健全に育っていたかという点で疑問を持つところである。
 2つ目。リーダーとして活躍していたいわゆる優等生が、推薦の試験を受けるために、面接練習をした。そこで、「最近、読んでおもしろかった本は何ですか?おもしろかった理由についても教えてください。」と質問したところ、「バトルロワイヤルという本です。殺人のシーンがとてもリアルに描いてあって、読んでいてすごくおもしろかったです。」そう答えた。本人の表情を見たが、別にふざけている訳でもなく、本当にそう思っているから、正直に答えたという感じだった。とりあえず、「その本は、人によっては、不快に思うこともあるし、この子は、殺人に興味があるのか?と思ってしまうから、やめときな。」とアドバイスしたら、納得してくれた。いわゆる普通の子、というより普通よりずっとしっかりしているという印象の子がそんな興味を持っていることに、疑問を感じるとともに、思春期の多感な時期に触れる映画や文学の影響の深さを感じた。

2004/02/01 00:35
「コラボレーション」について
 最近、コラボと言う言葉をネット上の音楽のサイトでよく見る。使い方としては、詩・曲・編曲・演奏・歌などを一人でやらずに、ネット上の仲間同士でデータを交換し合ったり、集まって録音したりして、何人かで1つの歌を作り上げていくようなことに使われているようだ。
 独身時代、バンドを組んだり、友達とコンサートを企画したりして楽しんでいたものの、結婚してからは、まったくそれができなくなってしまった。「もう友達と音楽をやることはほとんどないかもしれない。」そう思っていたけれど、「コラボ」という言葉を見て、遠く離れたもの同士が、協力して音楽をやれるんだということを知った。
 「コラボ」の流行すら知らなかった1ヶ月ほど前、たまたまある女性の詩のホームページを見つけて、ちょっと意見を交換するうちに、その人の詩に曲をつけることになってしまった。自分も「コラボ」していたんだということがなんとなくうれしくなった。

2003/11/15 00:30
「フォークソング」
 ピアノを習ったことのない自分は、楽譜を読むこともできず、また、母親譲りのリズム音痴のため、音楽は無関係の人生だと思っていた。中学の頃、大学入学のために都会へ行ってしまった兄の部屋からオープンリールのテープを見付け、それを片っ端から聞いていたら、反戦歌全盛時代のラジオ番組がたくさん録音されていた。(今もテープは残っているし、たぶん古いテープレコーダーにセットすれば聞けると思う。)
 テープレコーダーには、「手紙」「ガイコツの唄」「くそ食らえ節」「自衛隊に入ろう」「主婦のブルース」など、数々の放送禁止歌も残っており、ちょうど反抗期にさしかかっていた自分は、毎日部屋にこもってフォークソングを聴きあさるようになった。
 やがて、フォークに夢中になった誰もが体験するように、ギターを覚え、詩を書き、曲を作って歌いたいという一連の衝動に駆られた。作曲はまともにできなかったので、たいていは自分の詩を友達に作曲してもらい、それを歌っていた。
 あれから35年近く時が流れた。反戦歌を聴く機会は、ほとんどなくなったが、フォークを聞くと今でも胸に熱いものがこみ上げてくる。数々の大きなコンサートにも出かけたが、すさんだニュースが横行する今は、心が温かくなるようなフォークソングを聞きたくて仕方がない。特に歌だけでなく人柄も魅力的な「豊田勇造」さんと「きくち寛」さんのコンサートは、娘や息子がもう少し大きくなったら、絶対連れて行きたい。
 また、こういう人たちの歌が、もしも今の時代に受け入れられたら、きっとすさんだニュースが減っていることだろうと思う。

2003/10/26 00:13
「虐待」
 最近、また虐待による乳幼児の死亡が増えてきた。
 地元の新聞で、4歳の子が母親の高校生の恋人に殺された事件が何度も取り上げられているが、読むたびに、やりきれなくなる。
 虐待を受けて育った女性は、暴力をふるわれることが愛情だと錯覚し、暴力的な夫や恋人と結ばれる傾向があるそうだが、今回もそうなのだろうか?
 4歳にして、親から愛情を受けられなくなり、見知らぬ相手に暴力の犠牲になり、愛情が欲しくて、遠い街の祖父の家に行こうと家出したものの、願いが叶わず、最後は殺されてしまった…。本当にむごすぎる。
 関係機関を責める声もあるが、子を親から引き離しただけでは解決できないところに問題があり、現状では、今後もこのような事件が続いていくだろうし、虐待を受けている子ども達は、表面化していないだけで、膨大な数に上ると聞く。本当になんとかならないものだろうか?

2003/09/27 02:40
よい子とは
 赤ん坊の頃、泣いてもあまり世話をしないまま育てると、次第に感情を表に出さない子になる。ときには、それを「この子は、手のかからないよい子なんですよ。」と自慢する親もいる。
 表情の少ない子は、周りの友達も、感情を読みとりにくく、あまりうち解けてこない。そのため、少し大きくなったとき、深い友情を育てるような友達が作れなくなる。
 本当のよい子を育てるために、「これがいい。」という方法は、よくわからないけど、少なくとも、放任主義を出し過ぎるのは良くないと思う。さて、我が家は、どんな子に育てられるのだろう?

2003/08/25 00:23
「バイク修理検討中」
 ここ数年、ずっとバイクに乗らないまま、毎年高い保健だけ更新していたので、これからまた通勤にも利用しようかなと、久しぶりに、ヒューエルコックを回したところ、フロート室から、ガソリンが漏れてきた。
 前回、修理したとき(約5年前)「このバイクは、もう部品在庫がなくなりつつあるから、次に修理するときは、無理かもしれません。」と聞いたので、さすがに廃車目前かも。
 好きなバイクの情報をネットで見ていたら、CB72が、全国で1台(80万円くらいらしい。)CB250RSZが5台(1台9万円〜20万円)という感じで、まだ中古市場にはあるんだなぁ。
 前回の修理でさえ、15万円くらいかかったので、今回修理すると、いったいいくらになるか?また、修理は可能なのか?(たぶんVTか何かの部品を代用すればいいかも・・・・。)西三河でいい店を知っていたらぜひ、知りたいところである。
 ちなみに、自分の知る範囲では、尾張旭市の「ニュートラル」は、ホンダのCBシリーズ専門の修理店で、1度、タンクに穴が空いたとき、お世話になった。また、一色町の「赤玉オート」の店長さんも、旧車を直すのが大好きな人で、前回の修理は、ここでお世話になった。「赤玉オート」に展示されていたピカピカのCB750は、まだ売れずに残っているのだろうか?確か、完璧にレストアされてて、20万円程度で売ってたけど、「値段は安いけど、自分が認めたバイク愛好家じゃないと絶対に売らない。」と、こだわりの店長さんらしい話しをしていた。
 今回、情報がなければ、また、「赤玉オート」に連絡しようかと思う。

2003/08/16 01:43
「受け売り子育て情報」
 NHKの番組で紹介されていた情報等を自分自身が覚えておきたいので、ちょっとメモしておきます。
・胎教音楽は、胎児には届かないものの、母親の口ずさむ声は、聞こえている。また、母親がリラックスできることが胎児に良い影響を与えるので、もっとも良い音楽は、母親の好きな音楽である。
・身近な音で、子宮内の音と似た音を出すには、スーパーの袋をぐしゃぐしゃ丸めて出す音である。赤ん坊が原因不明で泣くときは、スーパーの袋を耳元で鳴らせると、安心して泣きやむ。
・胎児のときに絵本を音読しておくと、産まれてからも、その本を読むことで、赤ん坊は安心しやすい。
・赤ん坊が集中して聞く話しかけは、歌舞伎のようなしゃべり方が良い。
・産まれた赤ん坊を母子別室で過ごさせる病院よりも、同室で過ごさせる病院の子の方が、体内、対外での善玉菌を繁殖させやすい。特に、授乳時に、素肌を接触させて授乳するとより高い効果が得られる。母乳が出なくても、せめてまねだけでもする方がよい。
 他にも、良い情報があったら、誰か教えてください。

2003/08/11 01:37
「学歴」
 今でも学歴を重視して、人を判断する人が多いことは、とても、不思議な気がする。
 身近な友達で、高学歴を活かした仕事をしたり、社会に役立つことをしているものがどれほどいることだろう?
 それよりも、知り合いの中には、中学しか出ていないのに、どの大学教授より多くの知識と経験を持っていて学会で発表している学者さんがいたり、普通の漁師なのに、たくさんの発明や発見をして、漁業界に大きな影響を与えた人がいる。
 学歴が高くても低くても、それを気にしない人とは、気楽に話ができるが、自分の学歴を自慢する人と出会うと、ひがみではなく、その人が、かわいそうに思えてしまう。「この人には、学歴しか、自分が表現できないんだ。」と。
 余談だが、ブランドものを身にまとって自慢している人や、高級車に乗って自慢する人たちにも、同じ匂いを感じてしまうのは、自分だけだろうか?

2003/07/23 00:00
「音楽」
 絶対にカラオケをやらない友達が、自分の娘にピアノを習わせている。学校での音楽の成績が良くなるように。そして、学芸会で、ピアノを弾いて目立つことができるように。
 音楽ってそんなものだろうか?楽譜が読めて、きちんとピアノが弾けなきゃだめだなんて何か違う気がする。
 自己弁護になるが、自分は、音楽がかなり好きだと思う。少なくとも、その友達の何百倍も音楽を聴いたり、歌ったりしてきた。それで満足している。
 中1のとき、期末テストで18点しかとれなかった自分。
 楽譜が今でもまったく読めない自分。
 いつもリズムがはずれ、バンドで迷惑をかけてしまう自分。
 けれど歌うことや、聞くことが大好きな自分。プロじゃないんだから、それで十分。

2003/06/02 23:43
「喫煙権と嫌煙権」
 若い頃自分はタバコを吸っていた。だからタバコをやめられない気持ちは結構わかる。しかし、自分はあえてタバコを断った。
 自分がタバコをやめた理由は2つある。1つは、他人や環境に悪影響を与えたくなかったからだ。タバコの吸い殻が、自然界のあちこちに落ちていて、時には野生動物や植物、昆虫に危害を及ぼしている。それは、けっこう自分の中では我慢できない光景だった。また、人混みの中で歩いている人のタバコで服をこがされたり、小さい子の顔に当たったりして泣き叫ぶ光景を見るととても腹が立つ。また、交差点の信号待ちで、タバコの吸い殻をまとめて道路に捨てている運転者は、何度も目にした。どう考えても喫煙者は自分勝手だ。
 2つ目は、市民駅伝、登山、テニスなどスポーツをするときにタバコは、著しく持久力を奪うということだった。タバコを吸う楽しさよりもスポーツを思う存分やれる楽しさの方を選んだと言うことだ。
 最近、あちこちで喫煙者が迫害されていて、時には「喫煙権を守れ。」という声を聞くことがある。しかし、回りに対する悪影響を考えたら、絶対に嫌煙権を尊重すべきではないだろうか?タバコをやめて10年以上たつと、かつて吸っていた自分さえ、タバコの煙を嗅ぐだけでイライラしてくる。まして、吸わない子ども達にはどんな思いを与えていることだろう。
 ようやく、学校の現場で、全面的に禁煙化される動きが出てきたが、良いことだと思う。タバコの害を教えている教師達が子ども達の目の前でタバコを吸っていたり、「やめられないんだよ。」と居直る場面がどう考えても納得できない。
 ただ、禁煙化された学校がまだあまりにも少なすぎるのが残念だ。

2003/05/26 23:46
「いつか冷たい雨が」
 イルカの歌う「いつか冷たい雨が」という歌をクラスの子に聴かせ、感想を書いてもらったところ、その歌に共感してくれた子は、思ったより少なかった。
 自分が、教師に成り立ての頃は、この歌を聴かせると、すごい反響で、動物たちの存在意義を真剣に考えてくれたり、動物を殺したくないけど肉を食べなきゃいけないと言うジレンマを感じてくれたりしていた。
 しかし、今は、「動物を食べないなら、ウシやニワトリの存在する意味がない。」「この歌の言っている意味がわからん。」などの感想がけっこうあった。
 自己中心的な考えがじわじわと子ども達の心に広がっていることを寂しく思う。
 ただ、数は少ないが、「道で死んでいるネコを私はちゃんと拾って埋葬してやれます。」「動物に対して、人と同じように優しく接したいです。」というような感想も見つけて、ちょっとホッとした。

2003/05/18 23:21
「愛=哀 守りたくなるもの」
 相手がじぶんよりいろいろな面で劣っているとわかってきたとき、人は2通りの行動に出る。
 一つは、今まで恋していた感情が冷め、色あせてしまった憧れに終止符を打つこと。もう一つは、自分より弱く、か細く見える相手をなんとかして自分が守ってあげたい、自分でなければ、助けられない、何もいらないから、とにかく相手を守りたくなることである。
 後者の感情こそが愛である。
 たとえば、親は子を愛することができるが、子はある時期まで親を愛することができない。子が親を越えたとき、子は親を愛することができる。ただし、親はいつまでも越えられたと思わないので、永遠に子を愛し続けられる。
 恋愛で、お互いを愛し合えるのは、相手の欠点や弱さを知り尽くして、お互いを理解することができてからの話である。
 愛するということは、慈悲の心と似ている。

2003/05/17 17:02
「恋は、あこがれ」
 自分より優れているとか、素敵だと思い、その人のマネをしたり、その人に近づきたい、いつもそばにいたい、そう願う感情、それが恋だと思う。だから、恋は、相手を知り尽くして、欠点が見えてきたときに冷めていくことが多い。
 

2003/05/14 23:29
「感動するということ」
 何かを体験したとき、何とも言えない感動を味わうことがあります。また、感動を味わうために生きている人たちもたくさんいると思います。
 映画を観て感動したり、本を読んで感動したり、音楽を聴いて感動したり・・・。感動する気持ちは、幸せを感じるときの気持ちと似ています。そして、感動を人と分かち合えると、その感動がさらに大きな感動に増幅される気がします。
 子ども達は、本当に些細なことで感動できる感性の豊かさを持っていますが、大人になるに連れて、その感性を失ってしまう人は、少なくありません。
 けれど、色々な忙しさが子ども達の心をむしばんでいる現代では、感動する場面に出会えない子ども達も増えてきました。せめて、自分の娘はゲームやバーチャルの中でしか感動できない子どもにならないよう気をつけていきたいと思います。
 感動できる心を失わないことは、簡単そうだけど、難しいことかもしれません。
 人生の後半にさしかかってきた今、自分が感動したものをたくさん人に伝えられたら最高です。

2003/05/11 00:26
「自慢をする自分」
 最近、年をとってきて、何をやってもうまくいかない自分に自信がなくなってきたせいか、人との会話の中で、やたらに自慢をしたがる自分を発見した。
 昔、海援隊というグループが歌っていた「あんたが大将」という歌があったが、自分の自慢話を聞いている相手は、きっとあの歌の主人公みたいに、「あぁ、あんたが大将だよ。かわいそうに自慢することでしか、自分を認められないんだね。」という気持ちを抱いているに違いない。
 よく、弱い犬ほどよく吠えるというが、人をばかにしたり、人に自慢をするという時の心理は、自分に自信がなかったり、精神状態がとても不安定なときなんだと思う。今の自分がまさにそれに当てはまる。自慢をしてしまったあと、ふと我に返ったときの惨めさは、かなり自分を落ち込ませ、ますます自信をなくしてしまう。そんな悪循環の毎日だ。

2003/05/11 00:17
「今でもアメリカが好きですか?」
 日本人の多くはアメリカが好きなんだと思う。ファッションや音楽、映画、食べ物など何でもアメリカのものを好む。
 しかし、政治的な観点や国民の意識を考えたらどうだろう?
 日本に原爆を落としたことを戦争の早期終結のためには、良いことであったと考えるアメリカ人は、今でも多い。アメリカこそ最高の国家だとか、アメリカは、世界をまとめる責任があるから、大量破壊兵器の保有もその使用も当然だと考えている人々。
 今朝の朝刊では、原爆の規模を小さくすることで、抑止力としての原爆ではなく、実際に使用していく爆弾としてこれから開発を進めていくという記事が載っていた。確かに破壊力は少し抑えられるのかもしれないが、放射能汚染は、今までと変わらないと言う。
 自分は、アメリカの古いフォークやカントリー、ブルーグラスなど、大好きなのだが、少しずつアメリカという国家が嫌いになり始めている気がする。
 色々な独裁者や独裁国家の行動と今のアメリカの考えや行動の違いを説明できる人がいたら、ぜひ、教えてもらいたい。

2003/04/20 16:41
「アイドルの売り出し方」
芸能人の売り方は、やはり企画会議などで決めていくのだろうか?その売り方が失敗したときの補償は誰がしてくれるのだろう?また、夢を追っている人たちは、いったいいつぐらいまで追い続けられるだろう?知り合いの若い女の子がある日突然、アイドルになった。2年ほど少しずつだが活躍の場を増やしていったものの、現在はその所属していたグループも解散し、全くマスコミから姿が消えてしまった。意外としっかりしていた彼女の性格を知る者として、プロダクションの売り方は、彼女の内面にある魅力よりも、外見だけに商品価値を持たせようとしていたような気がする。今、マスコミにあふれているアイドル達が単なる人形としての売られ方でなく、人間としての魅力に焦点を合わせた売り出し方をしていくような芸能界になっていってほしいと思う。アイドル「小林美香」の説明については、http://www.katch.ne.jp/~cb250rsz/p.htmで。

2003/04/06 01:39
「本当の愛犬家とは」
 犬を散歩させている人をたくさん目にするが、本当に愛犬家と呼べる人がどれくらいいるだろうか?
 血統書付きであることをやたら自慢する人、スコップを手にして、いかにもフンを始末してますよ、と見せかけながら、実は犬のフンを放置していく人、人をほえたりかみつく性格の犬を鎖もつけずに散歩させている人。
 本当の愛犬家なら、まず、どんな犬にも愛情を注ぎ、犬を憎く思う人が増えない努力をすべきだと思う。
 自分は犬を飼っていないが、我が家の周りはいつもよその飼い犬がフンをしていく。自分は犬が好きなので、飼い主を憎むことにしているが、時折、ニュースで紹介される犬の虐殺は、憎む対象が犬になってしまった人たちの行動だろうと思う。 殺されてしまった犬を哀れに思う。

2003/03/22 23:57
「いつまでも変わらずにいてほしくない。」
 人と別れるときによく使う言葉で「いつまでも変わらずにいてほしい。」「君は君のままでいてほしい。」そんな言葉がある。しかし、それは、あまりにも身勝手な願いである。人は、常に変化するから人として、成長することができる。「変わらずに・・・。」というのは、おそらく「今のあなたが素敵だ。」ということの別表現なのだろうが、「今のあなたは素敵だけど、これからもっと今以上に素晴らしい人になってください。そして、たくさんの人を愛し、愛される人になってください。」本当に相手を思うなら、そう願った方がいいのではないだろうか?

2003/03/01 02:24
「幸せ=仕合わせ。」
 幸せという言葉は元々仕合わせから来ているのだそうです。つまり、
「仕」(自分が何かをすること)「合わせ」(それがかなうこと)
です。
 幸せを神様や他人に頼んでも幸せになれません。どんな些細なことでもいいから、自分で夢や願いを抱き、その実現に向けて、一歩ずつ努力していくこと。それが幸せになるための唯一の手段のようです。

2003/03/01 02:18
「がんばらなくてもいい」
 がんばる友達がいた。自分で何もかも引き受けて、がんばり抜いて、そして短い命を閉じてしまった。
 人の悩みをいっぱい受け止めて、自分ができる精一杯の援助をして、いつも気を遣って、そして、自分の抱えている悩みは、誰にもうち明けないまま逝ってしまった。

 いま、精一杯がんばっている君をえらいと思う。でも、できる範囲でのがんばりでいいよ。限界を越えてしまって、周りの人たちが悲しみを味わうことになってしまわないように。

 「また、だめだったよー。」そう告げられること、そしてそれを笑い飛ばしながら告げられる、気軽に弱音をはける君でいてほしい。



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